2017年7月14日金曜日

{―愚螺牛・聞々綴れ織り―} :親鸞聖人: 自然法爾章/JINEM-HOWNI-SHOW


自然法爾章
「獲」の字は、因位のときうるを獲といふ。
「得」の字は、果位のときにいたりてうることを得といふなり。
「名」の字は、因位のときのなを名といふ。
「号」の字は、果位のときのなを号といふ。
 「自然」といふは、「自」は、おのづからといふ、
行者のはからひにあらず。しからしむといふことばなり。
「然」といふは、しからしむといふことば、
行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに。
「法爾」といふは、如来の御ちかひなるがゆゑに、
しからしむるを法爾といふ。
この法爾は、御ちかひなりけるゆゑに、
すべて行者のはからひなきをもちて、
このゆゑに他力には義なきを義とすとしるべきなり。
「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。
 弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、
南無阿弥陀仏とたのませたまひて、
むかへんとはからはせたまひたるによりて、
行者のよからんともあしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。
 ちかひのやうは、「無上仏にならしめん」と誓ひたまへるなり。
無上仏と申すは、かたちもなくまします。
かたちもましまさぬゆゑに、自然とは申すなり。
かたちましますとしめすときは、無上涅槃とは申さず。
かたちもましまさぬやうをしらせんとて、
はじめに弥陀仏とぞききならひて候ふ。
弥陀仏は自然のやうをしらせん料なり。
この道理をこころえつるのちには、
この自然のことは、つねにさたすべきにはあらざるなり。
つねに自然をさたせば、義なきを義とすといふことは、なほ義のあるべし。

 これは仏智の不思議にてあるなり。

親鸞聖人:

 自然法爾章/JINEM-HOWNI-SHOW


南無阿彌陀佛
NAMO-AMIDABUTSU


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★★★★★★★★★★★★★★★

-愚螺牛・徒然雑感記-
 ★★★★★
NAMO-AMIDABUTSU

Sound and poetry ・・・good lucky for The world peace!!!
namo-amidabutsu
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